やまなしのクラムボンの意味!正体は一体なに?

中学1年の息子が夕飯の時に、「宮沢賢治のやまなしって話、あったよね。」と。なぜいきなり宮沢賢治の話になったのかというと、知り合いにいる同姓同名の人の話題になった時に、息子が連想して小学6年生の時の国語の教科書にあった「やまなし」が急に思い浮かんだとのことなんです。

隣にいた高校3年生の娘も、「あー、やまなしのクラムボンね。宮沢賢治の話って難解なものが多いよね。小学生の時に読もうとした銀河鉄道の夜も、あの時は想像力が追いつかなくて断念しちゃった。また読んでみようかな。」と答えたんです。

実は私もいまだに、「やまなし」に出てくるカニの兄弟が話している「クラムボン」の意味ついて、なんともしっくりこないままでいます。多分、子供も大人も同じように「クラムボン」に引っかかりを感じながら、宮沢賢治の世界観に魅了される人がたくさんいるんだろうな、と。

宮沢賢治のやまなしに出てくるクラムボンの意味とはいったい何なのか?謎めいたクラムボンについて調べてみました。

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クラムボンの意味に定説はあるの?

宮澤賢治は、生涯のうちでこのやまなしの解釈については何も語っていない、と言われています。やまなしという話を通じて作者が何を伝えたかったのかは、読んだ人が感じたものそのもの、ということになります。

現在に渡って、一体クラムボンとは何なのか?という謎を多くの人が考察し、たくさんの説を発表してきています。しかし、作者が真相を語っていないがため、どれも定説には至っていないのが現実なんですね。

クラムボンが意味するものは何なのか、まずは今までに発表されてきた諸説のうちのいくつかを見ていきましょう。

アメンボ説

クラムボンという言葉から、「clamp」かすがい(コの字型の釘)の連想を受けてアメンボとされたのではないかという説。

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プランクトン説

水の中に生きる小生動物の類で、魚によって捕食されている様子が「クラムボンは死んだよ。」という表現になっている。

カニの吐く泡説

現在まで多くの人に指示されている説で、カニが吐いた泡を、crab(カニ)+bomb(泡)でクラムボンと造語にしたのではないかと言われている。

光説

クラムボンは魚の往来に影響を受けている様子が描かれ、また魚によって水の中に届く光もまた影響を受けていることが記されていることから。
 

兄弟カニの母親説

カニの兄弟の母親が登場していないことから、これから行こうとしているイサド(作中での想像の町)に居るのではないかという、あくまでも「こんなこともあるのではないか?」という説。

解釈してはいけない説

クラムボンの意味を読み手それぞれが想像し、解釈できることに価値があると考えた説。教育の現場では、固定観念を植え付けないためこの説を用いていることが多いと言われている。

やまなしは兄弟の成長が伺える物語

このように、クラムボンの意味について様々な考察があります。何度も何度も「やまなし」を読んでいるうちに、私の中ではクラムボンはこんな意味なのではないか?と思えるものが見つかりました。

あくまでも私の意見ですが、やまなし自体にはカニの兄弟の成長が記されていると思います。そして、クラムボンはカニの成長度合いによって、登場しないという重要な手掛かりを見つけました。

個人的見地から、やまなしとクラムボンについて考察してみました。

5月にはクラムボンが登場する

「やまなし」は、2部構成のお話になっています。前半は5月の川底、日光が降り注ぐ水中でカニの兄弟が彼らのずっと上にある水面の方を眺めて見える情景について話をしています。

「クラムボンは 笑ったよ。」「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」と話している間に、1匹の魚がカニの兄弟の上を通って行ったところから、「クラムボンは 死んだよ。」「クラムボンは 殺されたよ。」というセリフに変わります。

しかし、その魚も水の外からやって来たかわせみによって捕らえられ、川からいなくなります。何も知らない幼い兄弟は、父親から自然の摂理を優しく教えられます。

12月にはクラムボンは登場しない

そして、後半は12月になりカニの兄弟は成長し、5月の頃にはまだ幼くて知らなかった自分たちを取り巻く環境がどんなものかを理解できるようになっています。

カニの兄弟は、冬の夜の川底で上から射してくる月の光の美しさに眠れず、水面を眺めながら自分たちが吐く泡のどちらが大きいかを競っています。しかし、競い合っているうちに上に大きく伸びあがろうとして、父親のカニに注意されます。

その時、かわせみと思われるものが上からやって来ます。ヒヤッとした兄弟カニでしたが、それは熟していい匂いのするやまなしでした。下流へと流れて行くやまなしを父子3匹のカニは川底を横歩きして追って行きます。

そして、父カニはやまなしが水に沈んでからお酒になることを教えます。明日イサドの町に行くつもりでいるカニたちは、明日のためにもう眠ることにしたのでした。

ここで、実は5月での兄弟の会話の中に登場していたクラムボンというワードは、12月の場面では一切登場していません。なぜなんでしょう?

クラムボンという言葉を使わなくなった

5月の時点では兄弟のカニはとても幼く、人間でいえば兄が4~5歳、弟は言葉を覚え始めた2~3歳ぐらいだと推測してみました。

というのも兄弟の会話から、クラムボンが笑ったことについて説明する言葉が、兄は4回とも言い回しを変えて言っていたのに対し、弟はすべて同じ言葉で繰り返して答えています。兄からの問いに対しても「知らない。」としか答えられていません。

幼く物を知らない子供にとって、固定観念はまだありません。自分たちだけに通じる言葉を作り出したり、幼児期だけに使う言葉があったりするのは自然なことだと思います。

クラムボンも、ある特定の物にそう名付けて兄弟で呼んでいた、と考えられるのではないかと。ただ、12月になり成長し自分たちの周りについて理解できるようになった兄弟は、クラムボンという言葉から卒業し正しい単語を使うことができるようになった、と推測しました。

では、クラムボンの意味する物とは何だったのでしょう?

クラムボンは泡?!

5月も12月も、川底から自分たちの吐く泡を見ていたのではないかと思います。5月の小さな体のカニには、泡の数々はとても大きなものに見えていたのではないでしょうか。そしてとても不思議に動き、自分たちと同じように生きているものとして見えたのではないかと思います。

泡が魚によってかき消された様子を見たままを言葉にした結果、「クラムボンは 死んだよ。」という表現になったのだと推察します。

しかし、成長した12月のカニには、クラムボンという言葉が泡を意味していたことが過去のことになっています。カワセミが魚を食べて生きることや、自然の摂理について考えることができるほど成長しているからです。

まとめ

結局、作者が何を言いたかったのかは、実際何も残していないのでよくはわかりません。

結局、クラムボンという難解なワードは、読む人の心をかき乱します。一体クラムボンとは何なんだろう、という気持ちに囚われ、読んだ後もずっとクラムボンだけが残り引っかかりをつけたままにします。

しかし、物語の最初にもあるように、「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」という文章から、5月と12月の場面を投影したスライドは、対比している場面なのではないかということです。

涼やかに水をたたえた川の水面下では、生きものの生きていく姿があります。そして最後の方にだけ登場する「やまなし」は、父子カニが自然の摂理の厳しさの中にある幸せの象徴のように感じます。とても、奥が深い物語ですね。

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