明智光秀が織田信長を討ち取った本能寺の変!真の勝者は!!

YouTubeでエグスプロージョンの動画、
本能寺の変を観ていました。

「そういえば、本能寺の変って結局、誰が
1番得をしたのかな〜」なんて考えて
いました。

歴史的解釈で色々の説があるとは、
思うのだけれど興味が湧いてきました。

そういえば、日本史の先生は、どうされてる
のかな〜?

顔見せも兼ねて、先生に詳しく聞いてみる
ことにしました。

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そもそも、本能寺の変って何?

本能寺の変とは、天正10年6月2日早朝
明智光秀が謀反を起こして本能寺にいた主君
織田信長を襲撃した事件です。

信長は、寝込みを襲われたのを知ると寺に
火を放ち自害をしました。

信長の子である信忠は、宿泊していた妙覚寺
から二条御新造に退いて戦いましたが、
やはり自害してしまいます。

2人の死によって織田政権は崩壊することに
なります。

その後、天下を取った明智光秀ですが、
羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、信長の死後
僅か13日後に命を落とすことになります。

 
この事件は、戦国乱世が終息に向かう契機に
なったものだったので、戦国時代おいての
最後の下克上と言われています。

光秀が謀反を起こした理由については、
定説が存在せず、日本史の謎などと呼ばれています。

そのため、様々な人が多種多様の説を
発表しているのが現状です。

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本能寺の変でいちばん得したのは?

本能寺の変明智光秀織田信長を抹殺
しましたが、僅か13日で、自分も
死んでしまうという事に。

そこで、気になるのは、結局、最終的に
いちばん得をした人物は、いったい誰なのか
気になるところですよね!

 
本能寺の変を織田信長・殺人事件とすると、
いちばん怪しい人物は誰なのかと考えると
秀吉が怪しいんです。

信長の死後、信長の三男である信孝や重臣
柴田勝家に勝利して天下人になって豊臣政権
を樹立することになります。

 

もう1人、怪しい人物が、家康なのでは
ないかと!

信長の死後、信長が勝ち取った甲斐と信濃に
侵出して勢力を作り、小牧長久手の戦いで
秀吉を破り徳川の名を天下に轟かせました。

秀吉に屈し豊臣政権で筆頭大老となり、
秀吉の死後に天下人になって徳川政権を樹立
することになります。

 
光秀は本能寺の変の後、秀吉の予想外の急速
な中国大返しがあり、外交も失敗して数日で
討たれることになってしまいます。

その後、秀吉と家康が天下人になり、
「本能寺の変は、秀吉または家康の謀略
よるもの」とも言われています。

 

さいごに

定説が確立していないため、それぞれの
解釈があって、面白いなと感じました。

個人的には、秀吉が謀略して光秀を操って
信長を亡き者にしたのではないかなって
思います。

先生とは、久しぶりに一緒に食事をして
昔話をして盛り上がりました。


 
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